おれはサクラ革命で真の男となった

よくきたな。おれは塚本ゆかりだ。俺は毎日すごい量の文章を書いているが、誰にも読ませるつもりはない。

おまえはサクラ大戦を知っているか?そうだ、帝国華撃団が走ったりうなったりしているあれだ。

www.youtube.com

社会現象といっていいくらいのブームメントを起こした作品だし、名前や歌くらいは知っているやつも多いだろう。しかしどうじに、名前や歌を知っていてもプレイしたことはないというベイビーもおおい。だがこのシリーズは真の男のための物語であることが完全に照明されているので、一度はあそんでおくべきだ。

 

「エッでもセガサターンドリームキャストなんてうちにはないよ」おまえはそういってブラウザバックをしてこの記事をみなかったことにし、スマッホをとりだしてはYOUTUBEとかで動画のザッピングを始める。そうしているうちにおまえはまとめブロゴとかツイッターとかそういうのにたどりつき・・・流れてきた記事にボタンをタッpするだけで何かを成し遂げたつもりになる・・・そしておれがこれから言おうとしていることを欠片も理解しないまま生きてゆき、老い、やがて・・・・・・死ぬ。END OF MEXICO・・・・・たしかにSEGAサターンやドリ=ムキャストは真の男のためのハードであり、ゲーム界という過酷なメキシコの荒野を本気で生き延びようと思ったら必須ともいえる強力なGUNだが、同時にもう過去のハードとなりつつあるということも事実だろう。メキシコをSURVIVEすることにそこまでの本気をつぎこめないやつもおおい。おれにとってはしんじられないことだが、それはまぎれもない事実であるらしく、目をそらしても何も解決はしない・・・・苦虫をかみつぶして冷えたコロナで流し込み、認めざるをえない・・・・

サクラ大戦は当時ものすごく画期的なゲームであったし、今見ても目を見張るほどに革新的な要素はおおいが、(これは新サクラ大戦のアドベンチャーパートがわりかし当時のままであることからも証明されている)プレステーション5とか、エックスボkックスシリーズなんとかとかそういうハードで出た快適なゲームたちに比べると不便に感じるところもすくなくないだろう。今から遊んでも十分に面白いが、これを完璧に楽しむことができるのはある程度90年代くらいのゲームを遊びなれている屈強な戦士たちであり、オープンワ=ルドだのM・M・OだのVR(ヴァーチャる・リアリティ)に飼いならされたおまえにいきなり四半世紀以上前のゲームをハードごと買えというのはおれもすこしためらわれる(3あたりは今の感覚で遊んでも全然問題ないくらい洗練されていると思うが、ドリームキャストかさもなくばプレミアのついたPS2・PC版でしか遊ぶことができない)。

SEGAシュワルツェネッガーであり、ダニートレホだ。新作を出すからといってプレイステーション4とかニンテンドースイッテしか持っていないヒヨッコたちのためにわざわざ過去作を遊べるようにしてくれたりはしていない。つまりおまえはSEGAの屈強(STRONG)な開発スタイルに完全においていかれてしまっている。おまえはその事実を受け入れられず、見ていないふりをして、タッチパネルをさわったり、ジャイロセンサーでジャイロしているというありさまだ。

おれのなかの獣 ─WOLF─の部分はそんな軟弱な奴はどうせメキシコですぐに死ぬのだから放っておけと叫んでいるのだが、そんな態度ではサクラシリーズを広める事はできない。おれはそういう現実をきちんとみているから、おまえに的確なADOVAISUができるということだ。おまえが真の男となれる素質があることはおれにはわかっている。だから今回おれは自分の中のどうもうな獣をできるだけ抑え込みながら、スラムの子供にギターを教えるマリアッチのようにLESSUNを行う。PRACTICE・・・・EVERYDAY・・・・

 

サクラ大戦は死んだのか?

サクラ大戦シリーズは2005年にPS2で出たサクラ大戦Vを最後に休止していた。まあDSでシレンみたいなダンジョンででかいジャンヌダルクと戦うやつとかPC用のデスクトップアクセサリとかはちょくちょく出ていたが、ナンバリングとしては完全に止まっていた。それは完全に熱風の吹きすさぶメキシコの荒野だった。サボテンの棘は輝き、ハゲタカたちは常に鋭い爪をつきたて、空中から男たちの頭めがけて降下してきていた。すべての酒場からはナイフを構えたダニートレホが飛び出してきており、山のような死体の中でぬるいBEERを飲むほかはなかった。歌謡ショウというゲームと同じ声優をつかったミュージカルみたいなやつはずっと続けられていたが、それも2008年で完全に終了する予定だった。だが、真の男であるサクラファンたちはそれを認めなかった。そのショウが終わったあと、やつらは誰一人として席を立たず、「CONTINUE!CONTENUE!(つづけろ!)」とさけんでいたのだ。誰もが涙を流し、腕や頭を振りまわし、雄叫びを上げていた。喉を潰し、吐血したやつもいた。二度と喋ることができなくなったやつもいるだろう。その騒ぎは結局、サクラシリーズの作曲者である田中公平という男が登壇し、おもむろに取り出したナイフで自らの胸に帝国華撃団マークのタトゥーを彫ってみせながら「TRUST ME・・・・(おれがなんとかしてやる・・・・)TODAY GO HOME・・・・!(きょうはかえれ・・・・・!)」と叫んだ事で丸く収まったが、これにより歌謡ショウは翌年以降も毎年開催され、2019年にはとうとうシリーズはかんぜんによみがえった・・・・シリーズ完全新作『新サクラ大戦』の発売が決定したのだ。

「新サクラ大戦」の画像検索結果

こういう休止していたシリーズに突然出た新作というのは1作出してそれっきりで終わりという事も少なくなかったが、これは完全におれにシリーズの復活を確信させたゲームだった。PS4という最新ハードで、太正という時代のもとに霊子甲冑はたたかい、蒸気が吹き荒れ、田中公平のキャッチ―なキャラソンは変わらず鳴り響いていた。田中の胸にはあの日彫ったタトゥーが10年たった今も輝いていた。キャラデザは久保とかいうやつに変わっていたが、やつはいい仕事をしたとおもう。過去のイメージをほうふつとさせるデザインながら、確実に新しいものになっている。「おれは新しく生まれ変わった、だが過去の志をすてたわけじゃない。おまえはどうだ」とキャラクターたちがおれに語り掛けてきているようだった。おれは発表されたビジュアルを見て思わず受話器をとり、集英社に電話をかけた。「THANK YOU TITE・・・・(ありがとう帯人・・・)」と。だが久保のやつはどうやら集英社の社員ではないらしかった。

実際遊んでみると、ストーリーは明らかに続編を出す気満々な感じでエンディングを迎えた。これには批判もあったようだが、決してボリューム不足という事はなかったし、物語として一応一区切りとなる決着はつけている。何よりおれはSEGAがこれからもシリーズを出すつもりでいるらしいことがうれしかった。

そしておれのにらんだ通り、シリーズは新しい展開を見せた。スマッホ向け完全新作R・P・G『サクラ革命』の発表である・・・

 

www.youtube.com

おれはスマッホ向けのゲームというのはあまりやらない方だが、これには大いに期待した。せざるを得なかったと言ったほうがいいだろう。なにせT・V・アニメ1話分くらいもあるPVを全編フルアニメーションのものすごいクオリティでいきなり航海してきたのだ。もはやPVというよりはアニメ『サクラ革命』の第1話と言った方が近かった。不知火りんや佐那すだちといったベイブたちのビジュアルも非常に気に入った。おれは大いに胸をふくらまし、リリース日までの間に何人か放置していたサクラ大戦4のEDかいしゅうをやったりもした(4はあまりにも攻略できるベイブが多く、全てをコンプリートすることはギターケース一丁でブチョの手下どもを全滅させることくらい困難だった)。そうして訪れた2020年12月15日────────

画像

・・・おれは泣いた・・・壁に頭をうちつけ、のうたうちまわり、嘔吐した・・・・悔しさのあまり雄叫びをあげながら白目をむいて失禁し、ソファとカーペットを洗濯した・・・・ベイブがなにやらおれをなぐさめていたようだが、全く耳に入らなかった・・・要求スペックはギリギリ満たしているはずだった・・・・だというのにこんなに楽しみにしていたおれが・・・おれだけがサクラ革命を遊べないというのか・・・?その事実におれが唖然としていると、突如ベッドのそばで電話がけたたましく鳴った。SEGAからだった。「ほら、おまえの大好きなサクラシリーズの新作をリリースしてやったぞ?おまえが遊ぼうと思ったらあらたなスマッホンをこうにゅうする必要があるが・・・・あれだけサクラへの愛を叫んでいたお前なら余裕だよな?」俺の愛への挑戦ともとれる内容だった。結局それは幻聴だったようだが、やつのいう事はもっともだった。「サクラシリーズが大好きです!エッゲームを遊ぶためだけに機種変を?それはちょっと・・・・バカなことをいわないでよお・・・」そんなことをいうやつがいくら自分の愛は本物だと叫んだところでなんらの説得力も持ちはしないだろう。そいつの愛が偽物だというつもりはないが、自分がサクラシリーズの新作よりもいくらかの現金をえらんだという事実は脳内に一生つきまとう。一生の苦悩に比べれば10万円程度の出費は安いものだ(おれは以前にも紫京院ひびきディナーショー開催時に全く同じ内容の電話がタカラトミーアーツからかかってきたことがあるので、この理論が正しい事は完全に証明されている)。おれは家をとびだした。

画像

気づけばおれはドコモSHOP(肉のHANAMASAのスマッホ版のようなところだ)の待合室でアルパカワインをのんでいた。

とつぜんの訪問だったので、カウンターに向かって「まずはワインを一杯くれ・・・・そのアルパカのやつだ・・・・」とちゅうもんした時、店の隅の薄暗いところで酒を飲んでいた常連と思われるならず者どもには笑われたし、店のやつがおれにワインとスマッホを持ってくるまでひどく待たされたが、なんとかサービス開始時刻の15時までには機種変をおえることができた。へたに安いのを選ぶとまた対応していないのでは・・・・?いままでスマッホにはあまり金をかけない方だったが、その思いがおれに最新機種を購入させた。フアーウェイとかいうやつのp30 PROという機種だった(名前から分かるようにプロのつかうやつだ)。前のスマッホは2年契約どころか3年以上たっても壊れる気配もみせず、バイクで走っているときにうっかりポケットから落とした時も「ぼくはへっちゃらさ・・・!」そう笑顔で言ってくるようなやつだった。愛着すらもわいていたが、サクラ革命が遊べないようなら容赦なく切り捨てる。おれは本気だった。熱い涙が、ドコモショップの床に零れ落ちていた。

そんなことでおまえはアカギとかに勝てると思っているのか

よくきたな。おれは塚本ゆかりだ。おれは前回おまえに最低限メキシコの荒野に立てる程度の武器(GUN)をあたえ、あとはとにかくれんしゅうしろと言った。

なので当然おまえは麻雀のルールについてだいたいりかいし、よちよち歩きのベイビーから、自分で銃に弾丸を込め、それを発射する事が出来るようにまではなっているはずだ。「エーッまだアガリとリーチについてしかおしえてもらってないよ」そう言ったおまえはいますぐメキシコに行って鍛えなおせ。

おれが「ポンとは・・・・・チーとは・・・・・」とかスマッホンで調べればすぐでてくるような事をちくいち開設すると思ったら大間違いだ。ちょっとこっちへ来い。おれはおまえをメキシコの荒野に立たせ、そこで生き延びるための方法を教えはするが、自転車の乗り方とか文字の書き方とかまでいちいち教えてやるつもりはない。おまえのそういう認識はあらためねばならない。調べてもわからないときだけおれにきけ。

 

いまから行うLESSUNはルールではなく戦術・・・・生き延びるための方法だ。といってもむずかしいことはなにもない。いまから書くことは麻雀を打つやつらにとってはごく当たり前の基本で、「こんな当たり前の事ばかり書いてなにが講座だ」などとおれをばかにするやつらすらいるだろう。だがおれはこれを全くの初心者のおまえにむけてかいているので、そのようなやつらのことはいっさい気にする必要が無い。

おまえは麻雀のルールについてりかいし、もう完全に麻雀を打てるようになったにもかかわらず勝つことが出来ない・・・なぜか? それは、前回のLESSUNとその後のプラクテスでおまえがただ銃を撃てるようになっただけで、狙いのつけ方とかをまだ全然わかっていないからだ。

 

鳴くな

おまえはポンとかチーとかを知ったとき「てきの捨てた牌をもらえるなんてさいきょうじゃないか!」とか何とかいって鳴きまくったはずだ。そしてけっきょく役がなくてあがれなかったり、あっても1000点とかにしかならず、結局つぎのノーテン罰符とかで1500点をうばわれおれの点棒を返せと駄々をこね泣き叫んだ。おまえのそういう行動はみえみえだ。だから鳴くな。

 

「エッでもf:id:Yukari_T:20190910212521p:plainとかf:id:Yukari_T:20190910212850p:plainとかf:id:Yukari_T:20190910212925p:plainとかは鳴いたら1ハンつくから鳴いたほうがおとくだよ」とおまえは身に付けたばかりのちしきを振り回して言う。だがおまえはこれらの牌を鳴いたとき、タンヤオピンフもリーチも裏ドラもメンゼンツモも消えるというじじつに気づいていない。役牌ひとつとリーヅモタンヤオピンフ裏ドラ・・・・どちらが強いかはめいはくだ。そして鳴きまくる事で手牌を相手にさらしているためおまえの手の内はかんたんに読まれ・・・・誰もアタリ牌を切ってはくれず・・・・選択肢の狭まった手牌から相手のアタリ牌を吐き出して・・・・・しぬ。たまにツモでアガっても1000てんとかで8回しかない貴重な局をろうひし・・・逆転のチャンスをうしない・・・・やはり死ぬ。END OF MEXICO・・・・・

 

「でもこれで役を手に入れたらあとはもう鳴いて手を作れるから凄い速さであがれるよ」でもじゃない。いいか、この際だから言っておく。麻雀でじゅうようなのは早さより高さだ。おまえがすばやく作った手で手に入れた1000点だか2000点は、ノーテン罰符や誰かのツモアガリで簡単に飛んで行く。早い手というのは基本てきに防御力がひくいからなおさらだ。だがおまえがじっくりと腰をすえて待ち、かわいた熱風の吹く荒野で相手のツモアガリや速攻せんじゅつにじっと耐え・・・・・そうしてようやく1回アガった12000点はそうかんたんにきえはしない。チンピラをなん人けしかけても、たったひとりのバンデラスにかなわないという事だ。わかったか。

 

もちろん鳴いて行った方がよい場合もあるが、いまのおまえにそんなことを伝えれば、「これはないていけばトイトイになる・・・・・だからないたほうがいいね」などと知ったような事をいって四暗刻のチャンスを逃し死ぬのは目に見えている。だからおまえは一切鳴かないくらいの心構えでいけ。そうすればおまえはリーチで点数を上げる事ができるし、すでに手が高い時はあえてリーチをせずに待って「あいつはまだ聴牌していないぞ・・・・しめしめ」とかなんかといって油断しているあほの心臓にはいごからナイフをつきたてることもできる。これだけでげきてきに点数は上がるだろう。

 

カンについてかんがえろ

おまえはネット麻雀とかを打っていて同じ牌を4枚そろえた時にでてきた「カン」という表示を見て「なんだろう?おしてみよう」とか言ってカンしただろう。そしてツモ牌をもう一枚もらい、「カンをしたらもう一枚引けるのか!おとくだぜ」とか何とか言っては即カンをするようになり、なんかやたらと敵の点数がたかくなり、他の奴らからのひんしゅくを買う。そして銃撃戦が始まり、酒場の中は死体だらけになり、モップがけをする。そんな中でお前は泣きべそをかき、言うだろう。「どうしてこんなことになるの? ぼく、ただ麻雀をうちたいだけなのに・・・・」しかしそれはおまえに原因がある。

 

いいか、たとえばある日、家の前にカゴが置いてあり、そこには生まれたてのベイビーと、拳銃と、昔のベイブの血染めの手紙が「YOUR DESUTINY・・・・(この子をたのむわ・・・)」と書かれて入っていたとしよう。そしてベイビーは生まれたてなのに拳銃に興味を示し・・・・・・力強くにぎっていた。

これは何を意味するかわかるか? おまえの立場で考えてみろ。答えはこうだ。ベイブは麻薬組織に狙われ、このベイビーをおまえに託さざるをえなくなった。そしてベイビーは、偶然カゴに入っていた拳銃に対し、真の男としての素質を示していたということだ。もしかすると、おまえを超えるかもしれないほどのGUNスリンガーの素質だ。だとしたら、この先におまえがすべきことは明らかだ。このベイビーを真のローランドへと育て上げ、メキシコ砂漠を越えて、一緒にベイブを奪還しに向かうのだ。麻雀もこれとまったく同じことがいえる。おまえはカンする事によって新たなドラをこの世界に生み出してしまった。生み出してしまったからには、責任を取らねばならない。

 

カンはただドラが1枚増えるだけではない。裏ドラも増えるのだ。これによりリーチをかけてアガった時に使えるドラは4枚となる。「オッそんなにあるならたしょう無理してでもリーチしようかな」とみんながかんがえ、全員が攻撃的になり・・・・場が荒れる。そこはもはや雀卓ではなく過酷なメキシコの荒野だ。死体が転がり、サボテンの陰からは常にダニー・トレホがナイフを構えて襲い掛かってくる・・・・結果的に全員がツモ切りをする中でドラを多く持っていた者の勝ちという運の要素が強い麻雀になってしまい、おまえは死ぬ。かといってオリるのはあまりにも無責任だ。そのような状況を作り出したのはおまえ自身なのだから・・・・これがカンがあまりいい顔をされない理由だ。

 

勘違いするな。おれはカンをすることが悪だと言っているわけではない。おまえのそういう早とちりをするところはなおすべきだ。だがカンが良い方向に働く状況よりもそうでないことの方が圧倒的に多い。トイトイなどの刻子系の手を作っているときや三槓子などがやれそうな時などで、相手の手が早そうでない場合や、オーラスで負けていていっぱつ逆転の手が必要な場合などははカンは有効に働くだろう。だが同じ牌を4枚持っているという事はその牌がもう一枚たりとも存在しないという事であり、その情報を握っているのはおまえただひとりだ。カンをするというのはこの情報をわざわざ公開するという事に他ならない。

たとえばおまえがf:id:Yukari_T:20190920225904p:plainを握りつぶしていたとすれば、そうとは知らず

f:id:Yukari_T:20190920225509p:plainのターツをずっと残しているやつの手は死んでいると言っていいだろう。だがおまえがこれをカンすれば、そいつはf:id:Yukari_T:20190920225509p:plainを切り飛ばし、手はZOMBIのごとく蘇り、おまえの肉を食らいつくす。f:id:Yukari_T:20190920234942p:plainを真ん中の牌だぜとかいって隠し持ってたやつも、それがいまやf:id:Yukari_T:20190921000730p:plainとかf:id:Yukari_T:20190921000755p:plainとかの端の牌と同程度の価値しかない事を悟り、f:id:Yukari_T:20190920234942p:plainを切り始めて一歩前進する。そうして結果的にお前は死ぬ。情報というのはそれほど大切なGUNだという事をおぼえろ。

おまえが字牌をカンした時点でいざというときにつかえる安全牌が4枚失われる事や、あとカンした時点でピンフも消えることなどを考えてからカンをしろということだ。

 

即リーをやめろ

 おまえは手をすすめ、聴牌したとたんにリーチをかけていないか?それはおそらくアガれずにツモ切りした牌で相手に振り込んだり、流局して無駄に1000点払う事になってはむせび泣きたいのをこらえ「いまのは運がわるかったね」とかいって運のせいにして強がっただろう。おまえはやがて「麻雀・・・・これは運ゲーだからよくないね」とかわかったような事を言うようになり、麻雀からはなれ、スマッホの予測変換に飼いならされ、やがて酒場で出会った安いベイブとけっこんし、じゅうたくロ=ンの事とかを考えながら残りの人生を過ごすことになる。おまえはなぜそんな人生を送るのか?それはおまえが聴牌の形とかをぜんぜん考えていないからだ。

 

まず聴牌したらリーチをかけるよりも先にその待ちの形をみてみろ。

カンチャンとかシャボになっていないか?

(f:id:Yukari_T:20190920225536p:plainとかでf:id:Yukari_T:20190920230021p:plainを待ったり、f:id:Yukari_T:20190920230206p:plainf:id:Yukari_T:20190920230313p:plainのどちらかが重なるのを待ったりしてはいないか?ということだ)

もしそうなっていて、そのままリーチをかけたらおまえはおそらく高確率で住宅ローンのことを考えながら人生を送ることになるだろう。

なぜならこれらの待ちはアタリ牌が少なくよわい。カンチャン待ちはアタリが1種類しかなく、136枚もある麻雀牌のうち、どんなに多くても4枚しかアガれる牌はそんざいしていない。シャボの方は2種類ある事にはあるが、最大8枚のうち4枚を自分で使っているため、結局は4枚しか存在できない。単騎ならもっと少なく3枚だ。

これらの待ちにもスジ読みをひっかけられるなどのりてんが無いわけではないが、やはり待ち界のバンデラスである両面待ちにはかなわない。なにせ2種類(最大8枚)もアタリ牌があり、3面張(最大11枚)やそれ以上になることすらある。そのうえメンツが全て順子ならピンフがつくというオマケ付きだ。強いがゆえに相手も対策を練ってくるが、待ちの枚数が多いのだからツモってしまえ。ツモればさらにもう1ハンつくぞ。

では待ちがカンチャンやシャボになってしまったおまえはどうすればよいのか?もはや住宅ローンのことを相談するためにヘーベルハウスにかけこむしか道は残されていないのだろうか?・・・・・・・こたえは・・・・・・NO・・・・だ。

リーチをかけてしまった場合、もうそれ以降待ちを変える事はできない・・・ぎゃくにいえば、リーチさえかけていなければおまえはいくらでも手を変える事ができるという事だ。おまえがしんのおとこならばこれを利用しない手はない。

先ほどのf:id:Yukari_T:20190920225536p:plainf:id:Yukari_T:20190920230021p:plainを待っている例で考えてみろ。

 これでテンパイして即リーチをかけたばあい、アタリ牌はf:id:Yukari_T:20190920230021p:plainのみで、それ以外の牌は全て等しく無価値になってしまうが、ここでリーチをかけずに手替わりを可能にしていた場合、f:id:Yukari_T:20191008185413p:plainf:id:Yukari_T:20191008185458p:plainがゆうこうに働くようになる。これらの牌をツモって来た場合、おまえのひんじゃくなカンチャン待ちは一瞬にしてf:id:Yukari_T:20191008185917p:plainf:id:Yukari_T:20191008190003p:plainといった屈強なシュワルツェネッガーへと変わる。もちろんf:id:Yukari_T:20190920230021p:plainをツモったならそのままアガってしまえばいい。メンゼンツモがつくから役が無くてアガれないという事は起こり得ない。待ちの部分だけを見ても有効牌は3枚あることが分かる。雀頭になっている部分などもくっつけば両面ターツや暗刻になる。即リーをしてf:id:Yukari_T:20190920230021p:plain以外を全てゴミにしてしまうのはあまりにもったいなく、このかこくなメキシコでは命取りになりかねない。

数牌でのカンチャン待ちならば有効牌はさらに増える。おまえはあほではないから、f:id:Yukari_T:20190920230206p:plainの例で有効牌は何種類になるかという事をおれが答えを教えるまでもなく分かっているはずだ。答えは3種類だ。

問題はペンチャン待ちの時だ。要するにf:id:Yukari_T:20190920225509p:plainf:id:Yukari_T:20190920225904p:plainを待っているときとかだ。これはタンヤオピンフもつかないうえにアタリ牌は一種類しかなく、f:id:Yukari_T:20190920234942p:plainをツモってきたとしてもf:id:Yukari_T:20191008194129p:plainのカンチャン待ちにしかならない。両面にしようと思ったらそこからさらにf:id:Yukari_T:20191008191519p:plainが必要で、結局は2枚入れ替える必要があり、これはもはや待ちの部分をそっくり入れ替えるのと変わらない。加えてペンチャンで待つことになるf:id:Yukari_T:20190920225904p:plainとかf:id:Yukari_T:20191008191800p:plainとかの牌はくっつくことのできる牌の種類が多く、他のやつらがメンツとして使っている可能性が非常に高い。とうぜん他の奴らもあほではないのでリーチをかけたおまえに無防備にそんな重要な牌を切る事はそうそうないだろう。

しんのPROならばそもそもなるべくこんな待ちにならないように場を読みつつ手を作っていくが、どんなにこうなる確率が低くなるように進めていっても、麻雀は運の要素が絡んでくるゲームなのでペンチャンになってしまう事もある。

そういう場合、「気を付けているのにこうなるってことは今は運気が向いていないな」と考えてベタオリするか、「気を付けているのにペンチャンになったという事はこれはもう神がおれにこの手でアガれといっている・・・!」と考えそのままリーチをするか、ペンチャン部分をそっくり切り飛ばすかだ。考え方の違いなので一概にどれが正解とはいえない。自分の手が高くなりそうかとか他の奴らの手が強そうかとかそういう事を踏まえつつおまえの信じる方法でいけ。おれはペンチャン部分を切り飛ばす。

とにかく、「カンチャンやペンチャンを避け、両面に変わってからリーチ」が基本的なせんじゅつであるという事を頭においておけ。これはダルシムを使う時は相手と距離をおくのと同じで、基本中の基本だ。ZANGIEFU相手に接近戦を挑むダルシムはすぐにしぬ。そういうことだ。

 

今回のLESSUNはここまでだ。まだまだおまえに伝えるべきことはMOUNTENほどもあるが、今回はここまでにする。ぜんかいの記事を長すぎるとか言ったうらなり野郎がいたからだ。本来ならばそんなツイッタに飼いならされ140文字以上の文章が読めなくなってしまった腰抜けは置いていくところだが、こんかいは初心者向けの講座という体でやっているためそのようなことはせず、2~3トッピクごとに記事を分けていこうと思う。あまりいっぺんに伝えても全てを実行する事はできず、それは知識としてしか身に付かないだろう。そのため、今回伝えた『鳴かない』『カンについて考える』『即リーをしない』を頭において麻雀を打ってみろ。PRACTICE...EVERYDAY.....。れんしゅうしろ、毎日だ・・・

おまえはなぜ麻雀をおぼえずに死ぬのか

よくきたな。おれは塚本ゆかりだ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。しかし今回は例外だ。なんだかみょうにおれのまわりで麻雀が流行り始めたからだ。

しかし、よのなかには麻雀がわかるやつばかりではない。おまえは麻雀がうてないことで仲間外れにされ、ひとり涙し、世の中をうらみ、悔しさのあまり雄叫びをあげてのたうちまわり嘔吐しただろう。そして麻雀を打てるようになりたいとおもって勉強しようとしたことがあるはずだ。だが誰も教えてくれず、どうやればいいのか解らなかった。おまえはSIRIに聞いてインターネットで調べようとしているうちにYOUTUBEにたどり着き、全然関係ない動画のザッピングをし始めた。気がつくといつしかスマッホの予測変換に飼い慣らされ、キ=タイプすらもろくにできなくなって酒やベイブに溺れ、男本来の生き方を何もかも忘れて・・・・・自分の頭で考えることすらも・・・・・やめてしまった。

だがおまえの喉の奥にはまだ、あのメキシコのざらつくような乾いた風のきおくが残っている。そしておまえの魂は潤いのある良質なコロナビールと焼けつくような闘牌を求めている。おまえはそろそろ男本来の世界に立ちかえり、スマッホの予測変換では真の麻雀のルールをりかいできないことに気付かされるべきだろう。このおれが今からはじめる、麻雀こうざによって。

 

ガリの形をおぼえろ

「麻雀?いっかいやろうとしたけど専門用語がおおすぎてまったくわからなかったね」おまえはすぐにそうやって見た目のなんかごちゃごちゃした感じだけであきらめてしまって本当にどうしようもない。サボテンの棘が輝くメキシコにおまえは突然放り出されて不安かもしれないがあんしんしろ。麻雀のルールはごくSIMPLEだ。(たしかにせんもん用語こそ多いが、半分くらいはぜんぜん他の用語におきかえてしまってもかまわないような言葉を、ひょうめん的なかっこよさを求めるだけのあほがあえて専門用語でよんでいるだけだ)

どんなタフな男でも右も左も分からない状況でメキシコの荒野に放り出されればひからびてしぬのはとうぜんだ。たとえ運よくバーにたどりつき、BEERをちゅうもんしたとしても、丸腰ではカウンター越しにショットガンでうたれて無残な死をむかえるだろう。この厳しいメキシコで生き延びるには銃を持つひつようがある。おれがいまからおまえに授けるのは生きのびるための力・・・・GUN・・・・つまり銃だ。

麻雀をうつやつらが牌を持ってきたり捨てたりしてなにをやっているのかというと、あれはアガリの形を作っているのだ。麻雀でアガるためには、3メンツ+1雀頭を作ればよい。「メンツ?雀頭?そんなことをいきなりいわれてもまったくわからない」とおまえは言う。この時点であきらめてしまい、自分にはやはり不可能だと思って堕落した生活にもどり、YOUTUBEでザッピングをはじめるだろう。酒とベイブに逃げたくなるかもしれない。だが待ってほしい。さっきもいったが、『メンツ』も『雀頭』もひょうめん的なかっこよさを求めるだけのあほがあえて専門用語でよんでいるだけで、けっしてむずかしいものではない。

まず、『雀頭』だが、これはなんでもいいので同じ牌が2枚そろったペアのことだ。

f:id:Yukari_T:20190908153517p:plainとか、f:id:Yukari_T:20190908153620p:plainとか、ほんとうになんでもいい。

牌に書かれている柄の意味がわからないおまえでも、二枚の牌が同じ柄かどうかわわかる・・・・つまりおまえはいま雀頭を完璧にりかいしたといっていいだろう。これはそうとうな早さであることが証明されているから、おまえは自信をもっていい。だがじしんと慢心はちがう・・・きをひきしめてかかれ。つぎは『メンツ』だ。

なんだかごちゃごちゃとわけの分からない字や絵が描いてある麻雀牌だが・・・・じつは大きく分けて2しゅるいにぶんるいできる。『数字』と・・・・・『文字』だ。

f:id:Yukari_T:20190908203936p:plain

これなどはわかりやすいだろう。なんか丸いやつの数でそのまますうじになっている。


f:id:Yukari_T:20190908203821p:plain

漢数字が書いてある。文字であるとどうじに数字だが、麻雀では数字として扱う。納得いかないかもしれないがそういうものだからなっとくしろ。

 

f:id:Yukari_T:20190908204146p:plain

なんか変な男根みたいなやつの数で数字をあらわしている。1がふざけた鳥だったり8がなんか変な並び方をしたりしていてわかりにくいがわかるようになれ。

 

f:id:Yukari_T:20190908204442p:plain

字牌だ。東とかにしとか書いてあったりなにも書いてなかったりする。なにもかいてないのに字牌とはどういうりょうけんなのか。こいつらにもいいところはあるのだが、きほんてきにアガリの形を作るという事にかんしては数字よりもやくたたずなので初心者のうちはむししろ。

 

これで牌のしゅるいはわかったな?3しゅるいの数と字だ。これでおまえは「メンツ」を理解できる。

メンツというのは同じしゅるいの数字の3つの並び・・・もしくは全く同じ牌3枚の組み合わせの事だ・・・・

つまり、f:id:Yukari_T:20190908205346p:plainとかf:id:Yukari_T:20190908205441p:plainとかf:id:Yukari_T:20190908205614p:plainとかのことだ。

同じ種類の数字しかならびとしてはみとめられない・・・つまり、

f:id:Yukari_T:20190908210857p:plainとかは駄目だということだ。

 

もしくはf:id:Yukari_T:20190908205726p:plainとかf:id:Yukari_T:20190908205750p:plainとかf:id:Yukari_T:20190908205823p:plainとかもメンツとして使える。だがこっちは数字の並びにくらべて作るのがむずかしいからできるだけすうじでやれ。

これでおまえもメンツについてわかっただろう。

 このメンツを4つと雀頭をひとつ・・・・これをそろえるだけでお前はアガることができ、このメキシコの過酷なじゅうげきせんの勝者となることができる。

f:id:Yukari_T:20190908211447p:plain

とか

f:id:Yukari_T:20190908211544p:plain

とかだ。

これさえおぼえていればお前はもう麻雀をうつことができる。おまえはかこくなメキシコで生き延びるための銃を手に入れたのだ。

 

リーチしろ

おまえはアガリの形をおぼえ・・・・GUNを手に入れた・・・だがあせるな。その銃には弾丸が入っていない。どんなすぐれた銃でも弾丸がなければどうしようもない。おまえがそれをもって銃撃戦にいどんだとしても弾を発射できずに右往さおうしているうちに流れ弾があたってしぬだろう。だがあんしんしろ。麻雀には銃の撃ち方がまるでわかっていないやつ(おまえのことだ)でもなんとかなる強力なぶきがある。それがリーチだ。麻雀ではたとえアガリの形を作ったとしても『役』というものがなければアガることはできない・・・・おまえはすぐにスマッホをとりだし、SIRIとかにきいて「役・・・・しっているぞ、タンヤオとかピンフとかいうやつだろう」などと知ったかぶる。そういうのはわすれろ。おまえはまず麻雀を打てるようになることだけをかんがえろ。本当にどうしようもないやつだ。おまえがおぼえる役はたったひとつでいい・・・・それが『リーチ』だ。

リーチには、何も特別な条件はいらない。あと一枚でアガリの形が出来るじょうたいになったらただ静かに1000点をしはらい、「おれはあと一枚でアガることができるぞ、おまえたちはどうだ」と宣言するだけでいい。これだけで役・・・りっぱなBALETTOになる。そうすればあとは欲しい一枚を自分で引くか、他の誰かが捨てるまで牌をめくり続ければいい。(ただし引いた牌がアガリとなる牌でなかったら、どんなに欲しくてもその牌は捨てなければならない。聞き分けをもて)おまえのあと一枚という宣言をみたほかのやつらは恐れおののき、おまえの求めている牌を出してしまう事をおそれ、小便を漏らし自分の手を崩して逃げ惑う。のたうちまわり、失神するやつもいるだろう。そうなればおまえの勝ちだ。アガリを決めてしまえ。

だがひとつだけ気を付ける事がある。おまえはおそらく最初はほんものの牌ではなく、ゲームとかをつかって麻雀をあそぶだろう。その時、あいての番にたまに出る「チー」とか「ポン」とか「カン」とかいう表示をみつけ、「これはなんだろう?おしてみよう」とかいってわけもわからずおしてしまう。こうなってはもうリーチはできない。そしておまえは「あといちまいなのにリーチのボタンがでてこない・・・・・・これはバグっているね」などとのたまい、また一歩しんのおとこから遠ざかり、麻雀からはなれ、バターコーヒーとかをつくりはじめる。チーとかポンの意味をりかいするまでこういうのはすべて無視しろ。そうすればおまえはきちんとリーチをかけるボタンをはっけんすることができるだろう(「立直」などとかいてあるばあいがおおい。これでリーチとよむ。おぼえろ)

 

まずはやれ

 おまえはいまやいっぱつの弾丸が込められた銃を手にし、ならず者たちのつどうバーでいきのびるための武器を手に入れた。つよい男になるための一番のちかみちは、戦場で自らを鍛え上げる事だ。「エーッまだこれだけのことしかおしえてもらってないしむりだよ」おまえがそう言うことはわかりきっている。だがかんがいてもみてほしい。かのシュワルツェネッガーがえんじた最強のおとこコナン・ザ・グレートは空調がきいた快適なジムとかで、プロンテインとかそういう栄養のある食事をたべ、きちんと睡眠をとり、誰にも負けない肉体をつくってから奴隷として奴隷バーをまわす毎日とか奴隷剣闘士としてのたたかいとかをはじめたか?・・・・・・こたえはNO・・・・だ。幼少のコナンはタルサ・ドゥームの軍勢によって村を焼かれ、家族を殺されて、奴隷として奴隷バーをまわす毎日を余儀なくされて育った。その過酷な奴隷バーが彼を鍛え、アーノルド・シュワルツェネッガーにしたのだ。おまえも戦いの中でだいたいのゲームの流れとかを覚えていけばいい。お前は銃をもっている。もしここがメキシコだったら敗北はすなわち死をいみするが、幸いここはメキシコではない。負けてもお前の心に屈辱が刻まれるばかりで死にはしない。その屈辱の経験がおまえをつよくする。

さいわい今はインターネットとかコンピュンタのおかげで、麻雀を遊ぶ環境にはこまらない。まずは天鳳 とかヤフーンゲームの麻雀とかエムジェイとかのタダで遊べてCPUとたたかうことができるやつでやってみろ。オンラインにもぐってもいいが、オンラインで対戦相手をぼしゅうしているならず者どもは、お前のようなヨチヨチ歩きのベイビーの相手をしたがっているわけではないから、あまりいい顔はされないだろう。とにかくCPUとたたかい、わからないことが出てきたら調べるなどしてちしきをつけていけ。しらべてもよくわからなかったらまだお前にはそのWORDは専門的すぎたという事だから、みなかったことにしてれんしゅうにもどれ。もう少し詳しくなってからまた調べればそのときはわかるかもしれないからだ。真の男であるバンデラスも、死闘のさなかに子供にギターをおしえていた。そして言った・・・・「PRACTICE・・・れんしゅうしろ、毎日だ・・・」と。

 

今回のONLINEセミナーはここまでだ。なぜならおれは、お前がだいたいゲームに慣れるくらいになるまで待っていられるほど悠長な男ではないからだ。ここは過酷なメキシコだ。ブチョのやつらがおれを狙っていて、お前を巻き込むわけにもいかない。だからおまえはとにかくゲームをやってみろ。次回はおまえがある程度慣れているものとしてこうざをはじめるから、次回までにだいたいのコツとかそういうのをなんとなくでいいからつかめるようになっておけ。

 

まだ見ぬ未来のおまえは自分らしく生きているか

よくきたな。おれは塚本ゆかりだ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。しかし先日『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』を再見したところ、このアニメについて猛烈に語りたくなり、いてもたってもいられなくなったのでこの記事をしるすことにした。

はじめに言っておくが、この記事はおれがコロナとドリトスをやりながら書きたい事をじゆうにかきつづる場所・・・つまりネタバレへのはいりょとかそうゆうものが一切そんざいしないメキシコの荒野だ。もしもこの真の男のための物語を最後までみたことが無いという場合はすぐに記事を閉じてdアニメストアなどのかくしゅ配信サイト、もしくはゲオとかツタッヤとかゆうレンタル・シッョプでいますぐ『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』を市長するべきだ。だがきをつけろ。先に『プリティーリズム・オーロラドリーム』をみてからだ。なぜなら『ディアマイ』は『オーロラ』の続きだからで、そうゆう順番を守れないうらなり野郎は「なんだかよくわからなかったなあ」などとあほのような感想をのこし・・・真の男のための物語とはなにかを知らないままで、年老い、やがて・・・・死ぬ。END OF MEXICO・・・・・・・おまえがそのような堕落にまみれたこしぬけの一生を送りたいというのならばおれはとめないが、そうでないならおとなしく順番通りにみるべきだ。オーロラドリームの方も負けず劣らず真の男のための物語であるという事はおれが保証しよう。レインボーライブも同様だ。

だがおまえは妙にひねくれており、乗り遅れたのが悔しく、「ネタバレなんて気にしないぜ」などといって真の男をきどり、くだらない蛮勇で完全なる初見で作品を楽しめるというおまえが頭をうつとかしてきおくを失わない限りは一生に一度しか訪れる事のないチャンスを棒に振るかもしれない。もしくは「プリティーリズム・・・しっているぞ、レインボーライッブとかキングオブプリズムとかいうやつだろう」などとスマッホでsiriとかにきいた知識で知ったかぶって、ディアマイフューチャーをレインボーライブのオマケのような扱いをする。それはメキシコでGUNを持たずにまるごしでバーに入り、ミルクをちゅうもんするようなものだ。おまえはおそらく、注文したミルクを飲むことすら出来ず、ダニートレホですらないその辺の酔っぱらいにナイフでころされ、犬にも慰めてもらえない死をむかいるだろう。これはどちらもどうしようもない完全なこしぬけであることが証明されている。いつからおまえはそんなになってしまったのか?スマッホンの予測変換のせいで、おまえの中の真の男は死んでしまったのだろうか?だが仮にそうだとしても・・・・・・よみがえる。プリティーリズムをみることでだ。プリリズ・・・イクォール、ドリトス・・・バンデラスもそういっていた。

 

さて、おれはこのディアマイフューチャーというアニメについてメキシコの荒野に日が昇るまで語り続ける事ができるほどの深い愛をもっているが、それら全てを1から語るという事はしない・・・いやそのうちするかもしれないが、少なくともここではしない。なぜならそんなことをすればテキスト量は膨大なものとなり、はてなブロゴのサーバーはあまりの文章量にたえきれえずばくはつし、何の罪もない運営会社の社員たちの命を奪う事になるからだ。真の男は無駄なころしをしない。よってこんかいはディアマイフューチャーの、いや、オーロラ・ドーリムからつづく壮大なサーガの終焉・・・つまりFINALE・・・・・であるグレイトフルシンフォニア編を1話ずつやっていこうとおもう。

 

#46 センター争奪! ライバルは友達?

 「グレイトフルシンフォニアがはじまるのは48話だよ?この回はまだじゃない?」お前はすぐそうやって聞いてくるかもしれない。だが真の男はそういうことをいちいち気にしない。おれはこの回が大好きだ。

プリズムショーは「エンターテイメント」と「競技」の2つが合わさりつよい。

だが2つが合わさっているからこそ、エンターテイメントであるからこそスタァ同士のチームワークは大切だし、競技であるからこそスタァ同士で互いに競い合っていかなくてはならない。そのため、ただ一人シンフォニアシリーズを手にしてグレイトフル・シンフォニアを完成させるスタァを選出するために、『親友』だったあいらとヘインは『勝者』と『敗者』にならなくてはならない。

ゆえにみあの「ライバルやめる?それとも・・・友達・・・やめるの?」という問いに対しヘインは「センターになるためだったら・・・」と肯定とも取れる返事をするのだ。ここでハッキリとした拒絶でもやんわりとした否定でも無く『やんわりとした肯定』なのが最高にウマイ。みあと友達をやめるのは並大抵のことではない・・・だが同時に勝利も絶対に譲れない。他のどの返事でもこの感情は出せないだろう。それまでの別れの挨拶は「また明日ね!」だったが、この日だけはみあは笑顔を作り「わかった、じゃあね!」とかえす・・・二人とも背中を向け歩き始め相手にわからないようにまっすぐ前を向いて泣く・・・完璧な描写である。このざんこくなまでに描写された決別の描写におれは獣のように吠え・・・・・怒り狂い、泣いた。各出版社はいますぐプリティーリズム・ディアマイフューチャーの第46話を国語の教科書に乗せるべきだ。DVDとか付録で。

このように決別ともいえる別れを遂げたふたりだが・・・よみがえる。ふたりでのぞむプリズムアクトによってだ。二人がプリズムアクトの先に見た光景・・・・それはあいらとヘインがプリズムショーによって出会い、友となったありし日の記憶だ。つまり、ふたりが同時に「友達」であり「ライバル」であり「プリズムスタァ」となった瞬間の記憶である。ふたりは約束の樹の下に互いを称える言葉を収めていた・・・つまりこの時から「親友」で「ライバル」をじつげんさせていたのだ・・・だがその関係を永遠に続けることはできない・・・そこについては次回47わで詳しくやるのだが、ともかく彼女らは親友とライバルを両立させる事に諦めずちょうせんし、その努力の成果、実力を持ってして観客たちに素晴らしすぎてどちらにも投票できないという感情を引き起こし、グレイトフルシンフォニアまでという短いじかんではあるが・・・2人で1番を勝ちとる事にせいこうする。だが・・・ふたりが親友であると同時にライバルである以上いずれは決着をつけなくてはならないのがメキシコのおきてなのだ・・・

 

#47 ワガママみあ 前代未聞のドタキャン騒動

 みあがヘインとの別れを受け入れられず、だったらグレイトフルシンフォニアを開催させなければよいのだといって脱走する回・・・つまり、一年間で培ってきたみあとその仲間たちの覚悟が試される回だ。この時のみあの『幸せな時間を終わらせないためには前に進まなければ良い』という考えは奇しくもラスボスである阿世知欽太郎と同じである。つまり仲間の力でこの買いを乗り越えた時、みあはすでに楽しい時間を永遠に続けるというタルサドゥームのみせる甘い幻想に打ち勝っているのだ。だがOPで毎週「僕らの時代 先が見えない事ばかりニュースは伝えているけど いつもの場所で変わらない友達と会えるだけで幸せ」などと刷り込んでおいてからそれが破壊されるというてんかいをもちこんでくるとは、なんとざんこくな作品であろうか・・・・・おれはその恐るべき破壊の光景に震え・・・顔を両手で覆い・・・哭いた・・・・・・

このエピソードでもとっも輝いていたのはソミンであるとおれは思っている。別れが目前に迫り、あのみあでさえふさぎ込んで泣いているなか、1年間ずっと泣き虫として描写されてきたソミンがみあとヘインに喝を入れる。この時点でおれは両目を見開き「サホーレー・・・・ソミン・・・」と感嘆の声をあげるしか無かった。だが次にヨンファから「泣いていい」と言われたソミンが一番に声をあげて泣くという場面を見た時点でおれはもはや知ったようなコメントができる状態ではなくなり、痙攣し始めた。失禁する奴もいるだろう。ソミンも懸命にこらえて、ギリギリの状態であの表情を作っていたのである。彼女はあまりにも真の男であり、その動き、立ち振る舞い、表情、すべての要素によって、圧倒的な英雄性でお前をいっぱつで打ち据え、輝くようなスタァとしての説得力を発揮してすべてのあほを黙らせる。

もちろんソミンだけではない。1年間かけてはぐくんできた友情は全ての組み合わせがこの回で描写され、それぞれが力を合わせてみあを探す。ここで全員で泣き、全員でグレイトフルシンフォニアへの覚悟が完成したからこそ、あの究極のエンターテイメントが完成したのだ・・・

 

#48 開演! グレイトフルシンフォニア

いよいよグレイトッフルシンフォーニアの開幕である。お前はまず、「すべては・・・ここから始まった!」のセリフとともにこの壮大なサーガの一番初めのOPであるYou may dreamをこれまで登場したスタァ全員で踊るという破滅的な演出を受けて死ぬ。すぐに死ぬだろう。だがまだグレイトフルシンフォニアは始まったばかり・・・いや、始まってすらいないのだ。

第一楽章はLOVE♡MIX、せれのんwith Kといったスタァたちが「未来は何も見えず不安」「人が分かりあう事はむずかしい、くだらない喧嘩で世界は壊れる」といった問題を歴代の名曲ぐんとともに投げかけ、おまえの未来への甘い考えをたちまち粉砕する。自信を打ち砕かれたおまえは、屈辱と無力感で床をのたうち回り、叫び声をあげ、嘔吐するだろう。ビールや女に逃げたくなるかもしれない。だが「未来」をテーマにする以上、そういった部分を描写しない訳にはいかない。それをしないのは逃げであり、どうしようもない腰抜けだ。だが真の男のための物語であるプリティーリズムは逃げない。こういったテーマを投げかけ、少女たちはひとつひとつ肯定しながらも諦めない事を選ぶ。ギャグというオブラートに包まれてはいるが、その奥に潜むメッセージはほんものだ。ギャグにばかり気を取られるおまえ、または「けっ、説教臭いんだよ」などとひねくれたことをいうおまえはどうしようもなく愚かだ。そんなやつらは当然すぐにそのへんの野良犬とかにころされ、死体に変わるだろう。

第二楽章はプリティーリズム・オーロラドリームの物語・・・・いや、ショウという男のための物語だ。ここまでのショウという男を見てきたお前はショウの事を「八つ当たり男」「器が小さん」「NTR男」「風呂場の石」くらいにしかおもっていなかっただろう。隠さなくても良い。事実おれもこの第二楽章を観るまではそう思っていた。

まずはプリティーリズム・オーロラドリームの象徴とも言うべきMARsの3人があらわれ、作品を象徴するジャンプ、オーロラライジングの光を世界中に見せる。この時点でオーロラドリームの1話からMARsを見守ってきたおまえは震え、ワインを取り落し、カーペットをクリーニングに出すだろう。だが、グレイトフルシンフォニア第二楽章の本番はこれからだ。ほんらいグレイトフルシンフォニアに参加する予定のなかったショウとユンスが舞台にあらわれ、春音あいらという一人のベイブをめぐり、さながらコナンをえんじたシュワルツェネッガーのように剣をふるうのである。だがこれには理由がある。第二楽章のテーマは『愛』・・・みあとヘインより先に「ライバルで友達」という関係をきづこうとしていたショウとユンスだが、愛のために、絶対に譲れない事のためには互いに戦わなくてはならない事もあるのだ。この関係がただのなれ合いではなく、真の男の友情であるというためには決してかかすことのできない描写だ。この「愛を全てに優先させる」という姿勢は次作のレインボーライブにも通じる真の男の姿である。互いの想いをぶつけあい激闘をくりひろげるショウとユンスだが・・・結果はユンスの勝利に終わる。だが、あいらは自分の為にふたりが戦う事に耐えられず、翼を失って奈落に落下してしまう。ユンスはそのへんの蔦を命綱にしてその奈落に飛び込むのだが、その命綱のせいで落下していくあいらに手は届かない。だがショウはちがう。命綱も持たずあいらの元へ飛び降りるのだ。当然無謀な行為なのだが、デザイナーとしての腕も人間としての器の大きさもユンスに負けていたショウが、唯一『とっさにあいらのために命を懸けられるか?』というただ1点でユンスに勝利するのだ。

だが、あいらはショウの手をとろうとはしない。このまま『スタァとデザイナー』という関係でいればショウさんとの繋がりは切れる事は無い。この関係が変化してしまう事が怖いというのだ。ここでも『今の時間を永遠のものにしたい』という思いが現れる。

ディアマイフューチャーという作品のラスボスは阿世知欽太郎個人ではなく、『今の時間を永遠のものにしたい』というタルサドゥームのゆうわくなのだ。

それに対しショウはあいらを抱きしめ「俺たちはきっといつか傷つけあう・・・もしかしたらお前は俺から離れていくかもしれない・・・それでも!何度だって俺はお前を抱きとめる!何度だって俺はお前に恋をする!それが俺の『永遠』だ!」と、未来への不安感を受け入れたうえでそれでもと言い、愛し続け、自分なりの永遠を実現させることを宣言する。あいらは逆に何度も消そうとしても消せなかったというショウへの愛を告白、二人は翼を手にし、ショウがあいらに伝授したジャンプである無限ハグ・エターナルを二人で跳ぶ・・・・・・これこそ真の男の姿である。風呂場の石にしかすぎなかったこしぬけのショウが真の男と化した瞬間だ。主人公であるみあに先んじて自分なりの結論を一つ出している。やつこそこのプリティーリズムの裏の主人公と言ってしまっても決して過言ではないだろう。他の何で負けてもあいらへの愛だけは誰にも負けない・・・初期のあいらそっちのけで勝負だ勝負だ言っていた頃のショウを知っているおまえはやつの成長をみとどけた感動に打ち震え、断末魔の悲鳴をあげて喉とかをかきむしり、失神するか死ぬかするだろう。だがお前が真の男ならばまだ死ぬべき時ではない・・・なぜならグレイットフル・シンフォニアはまだ始まったばかりだからだ・・・

 

#49 失われる明日

第二楽章がオーロラドリームの物語なら、第三楽章はディアマイフューチャーの物語だ。みあとヘインの前にPrizmmy☆とPURETTYのメンバーが現れ、1年間を通して身に付けたジャンプを次々と披露し、歌い、踊り、1年間で経験したエピソードを見せ、プリズムアクトをやりとげる。ここでおれは彼女たちを見届けてきて本当に良かったと感動し、深く感嘆のため息を吐き、ごくりと唾を飲み、汗をぬぐった。口の中はカラカラに乾いていた。ここはメキシコだ。おれはナイフで切ったライムにかぶりつき、ドリトスを食べ、テキーラを流し込んだ。彼女たちはその経験を翼とし、宇宙の果てまでも飛んで行こうとする・・・・・だがそこに恐るべきタルサドゥームがあらわれる・・・・最終楽章をじぶんの望む結末にしようとたくらむ阿世知欽太郎だ。やつはPrizmmy☆を全員燃やし尽くすことで第三楽章の完成までたどり着かせないようにする。だが彼女たちは全員が自分の身を盾に、みあとヘインを最終楽章までたどり着かせる事を選択する・・・・・みあは当然拒否するが、メンバーがOPをバックにみあへの包み隠さない想いを語る・・・・それは正直最初は嫌いだったなどのネガティブな感情も含めて・・・・だからこそ私たちは変われたと礼を告げてみあに全てを託し力尽きてゆく・・・・・おれは獣のように吠え、叫び、愕然と立ち尽くし、泣いた。力なく、膝が折れた。熱い涙が、床に落ちた。おれは、泣いていた。

見届けているだけのおれですらこのありさまなのだから、当事者であるみあのショックは計り知れないものだっただろう。みあが1話からずっと言っていた「一番になる」という事は他人を蹴落とす、上に立つという事とほぼイコールであるという事にここで気づかされる・・・・動けなくなるのも無理はなく、立ち止まってしまうが、阿世知欽太郎は決して待ってはくれない・・・・追い打ちをかけるように阿世知欽太郎が見せた物・・・・・それはみあとヘインがここに来るまでに乗り越えて来たスタァたちが囚われている姿だったのだ・・・・

 

#50 未来の私がいっちばーん!

 ここに来てこのサブ・タイトルである。物語のクラッイマクスであるこの回にこの言葉を使うために一年間かけてこの言葉を作品にちりばめてきたのだろうか・・・・・これはそうとうに計算高いこういであり、確固たるしんねんがあるタフな男でなくてはこれをやり遂げる事は不可能なことが証明されている。(「君は未来人?とか右よし左よし私よし!とかはどこに行ったの?」などとこざかしい事を言うおまえはショットガンでうたれて死ぬことがわかっている)

阿世知欽太郎によって見せられた世界は、敗者たちが勝者となったみあとヘインに対して恨み言を投げかける。これが本当の敗者の声なのか、世界に絶望している阿世知欽太郎が見てきた世界なのかは分からないが、欽太郎は一人でただ美しい思い出に浸っていれば勝ちも負けもなく、このように傷つく事も傷つける事もないという・・・・この考えを完全に腰抜けであると一笑にふす事は、たとえアントニオ・バンデラスでも難しいだろう・・・みあですら完全に否定せず、「それはその通りだがそれはかっこ悪い」という。おれはこれに深く感動した。誰だって傷つくことは怖いし、それを否定する事は嘘であり逃避だ。これまでのグレイトフッルシンフォニアではむしろ未来は辛いことの方が多いと描写している節すらある。(というかそもそも今の阿世知欽太郎自体が究極のエンターテイメントを目指して努力を続けるも報われなかった結果だ)

だがそれでも未来に向かうべきだというみあに対し欽太郎は綺麗事を言うな!!!!とキレるのだがここでのみあの返しは

私たちはプリズムスタァだ!!皆が進む道は明るいって!!未来は美しく輝いてるって!!私達が言わなきゃ!!誰が言うんだ!!!」と綺麗事であるという事を認めたうえで、綺麗事だと分かっていても未来は明るいと言い続ける・・・・それこそがアイドル・・・・偶像であるからだ。アイドル・アニメだからこそ成し得た主張であり、この時点で『アイドル』というものをテーマに扱う作品はディアマイフューチャーをもってこれ以上ない完成を見せてしまった・・・・・おれが今までアイドル・アニメだと思っていたものはただ主人公の職業・うちこむものとしてたまたま「アイドル」が選ばれていただけだったという事を思い知らされ・・・・おれは泣いた・・・・・これ以降アイドルをテーマに作品を作る事はざんねんながらギターケースを持ったマリアッチに丸腰で挑むことのように無謀であると言わざるをえない・・・・(それはそれとしてレインボーライブもプリパラもプリチャンも同様に真の男のための物語なので見るべきだ)

さまざまな作品で掲げられるテーマをはっきりと『綺麗事』と断じてしまうという作品としてとてつもない事をしてはいるが決してその主張を否定してはいない。ある意味究極のひねくれ方をしているが、それすらも包み込む懐の広さを持った作品なのである。ゆえに、「女児アニメは綺麗事を言うから気に食わないぜ」などとぬかすあほや、「おれはひねくれているから説教臭い話は気に食わないぜ」などと作品をダシに自分語りをするうらなり坊やは粉々に粉砕され死ぬだろう。

それと同様に阿世知欽太郎もやはり粉々に粉砕され、「子供が偉そうに大人に説教するな!」とあほのような反論しかできずに、最終楽章への扉を閉じようとしはじめる。

みあは「やっとわかったよ。私がどんな『一番』になりたいのか」と微笑み、「これが私の『一番』だ!!!!」と叫び、ヘインを閉じゆく扉に向かって投げ、阿世知欽太郎とともに扉の前に残り闇にのまれてゆく。みんなを未来に連れていく事、それが自分の一番だというのだ。おれはこの展開に度肝を抜かれ、震え上がった。そしてテキーラをひとくち飲み、カウンターに突っ伏して、ひとり、哭いた・・・・。たいていの場合、主人公は勝つ。ましてや1話から口癖のように1番1番と言っていた上葉みあならばなおさらのことだ。もしくは46話で決着を先延ばしにしたのだから、どちらが一番になるかはなあなあで終わらせるのではないかとすら思っていた。だがみあは自ら『一番にならない事』を選択した・・・・いや、『自分の一番』を見つけ出し、それに準じたのだ・・・・思えば『スタァがそれぞれの役割を演じて作り上げる究極のエンターテイメント』であるグッレイトフルシンフォニア自体が・・・・いや、プリズムアクトという存在自体がこの展開への伏線だったのだ・・・・・おれは信じきれなかった自分を恥じた。そして関係者に手紙をしたためた。「タツノコプロ・・・・I'm SORRY」と。

最終楽章に一人で到達したヘインは色のない世界を見ている。ここはみんなの力で到達した『一番』なのに、ここにはその誰一人としていないからだ。大切なものが欠けている世界(=色がない世界)なのである。ここでヘインが挙げる人物たちがスタァのみならず、社長やコーチと言った人物まで含めているのがおれは素晴らしいとおもう。

阿世知欽太郎とともに残ったみあは、『最終楽章に到達させない』という目標すらかなわなかった欽太郎にも救いの手を差し伸べている。夢を追いかけるあまりに狂い、ベイブ達に逃げられた欽太郎に「あなたは孤独じゃない、私がいっしょにいる」と言う。これこそがアイドルの力であり、アイドルにしか成しえない事であり、これもアイドル・アニメでしか成しえない主張だろう。(普通の女子高生とかがアニメのヒロインであるというだけの理由でこれを抜かしていたらお前は何様だと言われ、GUNでころされていただろう)「みあ・・・・You Are Mexico・・・・」テレビ画面の前で息を飲んでいたおれは、思わずそう呟いたものだ。

そしてこれまでのエピソードで登場したゲストキャラたちや観客たちが再登場し、みあに応援という力を与える。(プリティーリズムはゲストキャラだからと言って使い捨てにはしないしんのおとこだ)ヘインや力尽きていった仲間たちも立ち上がり、それもみあにちからを与える。アイドルが観客に希望を与えると同時に、観客もアイドルに力を与えているのだ・・・・そして初期からずっと使っており、進化を続けるジャンプ『きらめきフューチャースター』で閉ざされた扉を破壊し、『ヘイン一人の世界』と『外の世界』を繋げる・・・・これはアイドルのみならず音楽、小説、演劇、映画、ドラマ、アニメ、漫画、ゲームとかいった全てのエンターテイメントがもつ「希望を与える」という役割をきゅうきょく的に表現してしまった・・・・(「希望?おれは絶望的な救いのない作品がすきなんだぜ」とひねくれたおまえは言うかもしれないが、だとしたらおまえは『好き』という感情を持っている時点で希望を与えられていることに気づいておらず、ひとりでおおきくなったつもりでいるうらなり坊やだ)

そうして『全員で勝ち取った一番』を実現させ、真の最終楽章を始める。そこは先ほどの色のない世界とは打って変わって、色とりどりの花に包まれた世界だ。花に包まれ、欽太郎は『みんなが笑いあえる物語』を作る事を目指していたからこそ、誰かが傷つくことを恐れるあまり、前に進めなくなってしまった事を悔いる。この男も真の男となる資格・・・やさしさをじゅうぶんに持っていた。だがあまりにも優しすぎたあまりに狂ったのである・・・・そのことに気づき、嫁と娘のふたりのベイブに寄り添ってもらえるようになった彼の未来はあかるいだろう・・・・

かくして真のグレイトフルシンフォニアの最終楽章は、全員に未来を見せ、作品名をかんするジャンプ『Dear My Future』を飛ぶことで、グランドフィナーレをむかえる。

もちろんエンターテイメントをテーマに続けていただけあって、ラストはカーテンコールである・・・・(からくりサーカスとかもそうだった)

 

ここで物語はグランドフィナーレを迎えるが、『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』にはもう一話、#51 Dear マイフューチャー がそんざいしている。最終話がまるごとエピローグなのである。この話についておれがいままでのように逐一語る事はしない。なぜならこの話はオーロラドリームからつづく壮大なサーガの総決算であり、この話について逐一語るという事は、結局はプリティーシリーズの100話以上あるエピソード全てについて語る事に相違ないからだ。もちろんおれはそれもやぶさかではないが、それはつまりサーバのばくは、むえきな殺生につながる。ここまでながながとしゃべっておいてあれだが、優れた物語に言葉など不要なのだ。この記事はおれが書きたいからかいた。しんのおとこはそういう態度でいるべきだ。だが、一つだけ言わせてもらうならば、空港でみあが泣きながらDear My Futureを歌うシーンは、あれはあくようすれば人間一人を脱水症状でころす事ができるとおれはおもっている。

www.youtube.com